2) 考え方・知恵

何のために生きているのか?それは自分が決めれば良いだけのこと

人は何のために生きている

こんにちは いもです。

自分は「何のため」に生きているのだろうか?誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

私も若いころにはそのようなことをよく考え、悩んだものです。しかし、その答えは見つからないままで今まで生きてきました

ここ何年、いやここ何十年は、毎日同じような日々を繰り返し、いつの間にかそんな「問い」も浮かばなくなっていました

しかし、突然の入院がきっかけになりました。その「問い」が自分の中に芽生え、「答え」がついに分かった気がしました。

50歳目前にしてやっと見つかった答えです。それを紹介します。

入院中に病院のベッドの上で考えたこと

「家族の幸せのため」に生きているはずが

49歳の時、私は突然の高熱で1カ月ほど入院することになりました(その話しは下に載せた記事をご覧ください)。ベッドの上に横たわりながら、いろいろなことを考えました。

これまでの人生のことや、これからの人生のこと。それを真剣に考えねばならない状況だったのです。

自分は何のために生きてきたのだろう?」「自分は何のために生きていくのだろう?

それを考えるためには、「会社での仕事は、何のためにやっているのだろうか?」という問いに答えることが重要な気がしてきました。なぜなら、自分の時間のほとんどが「会社での仕事」で占めていたからです。

考えうる4つの選択肢から、最も大切に思っているものを選びました。

1. 会社の発展のため
2. お客様の利益のため
3. 家族を幸せにするため
4. 自分が成長するため

私の答えは迷うことなく「3. 家族を幸せにするため」でした。

しかし、現実の暮らしを思い返して絶望的な気持ちになりました。日々の暮らしは「家族の幸せ」とはほど遠いものだったのです。

毎月入ってくる給料で、衣食住に困ることなく生活は送れています。しかし、共働きの我が家は、平日は朝早くから夜遅くまで仕事で、家族の時間は十分取れません。定年退職まで勤めたとしても、老後の時間を悠々自適に過ごせるはずもありません

「家族の幸せ」のためと思って費やしている時間のほとんどが、実際は「家族の幸せ」に役立っていなかったのです。

いもさん

いつの間にか「今の暮らしが当たり前」と思って過ごしていましたが、それが「家族の幸せのため」になっていないことに気付いてしまいました

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もし死んだら、自分の居た日常の景色はどう変わるのか?

入院してから2週間は意識がはっきりしない状況が続きました。その当時を思い出して、妻も母親も「本当に死んでしまうのではないかと思った」と言いました。

私は、「もし本当に死んでいたら、周りの状況はどうなっていたのだろう」と想像してみました。

属性私が死んだら
妻(家族)泣き悲しみ絶望し、その思いを持って生きる
親・兄弟泣き悲しみ、その思いを持って生きる
今でも仲の良い友人泣き悲しむ。たまに思い出してくれる
職場の同僚・上司泣き悲しむが、しばらくすると忘れる
今はあまり交流のない昔の友人死んだことすら知らない。知った時に可哀そうに思ってくれる
近所の人、犬の散歩でよく会う人死んだことすらしらない。なんとも思わない

私の「死」で本当に影響があるのは、自分の身近な人だけ」ということがはっきりと分かりました。

いもさん

もし死んだとしても、毎朝並んだ駅のホームからも、近くのスーパーからも、犬の散歩で通った道からも、自分の存在が消えるだけ。他の人の日常には何の影響もないんだよね

50歳目前にしてやっとたどり着いた答え

人生とは

自分は何のために生きていきたいのか?

なんだか霧が晴れたような気分になりました。

自分は何のために生きているのだろうか?」と考えるのではなく、「自分は何のために生きたいか」と自分が決めれば良いだけだったのです。

そう考えてみれば、答えは簡単です。

「近くにいる大切な人を幸せにする」「近くにいる大切な人を喜ばせる」

私はそう生きることに決めました。

妻も、ペットの犬も、両親も、兄弟も、妻の両親も、妻の兄弟も、友人も。「近くにいる大切な人」です。

いもさん

ペットの犬は「人」じゃないけど「家族」ってことで大切です

行動が伴わなければ意味がない

「近くにいる大切な人を幸せにする」「近くにいる大切な人を喜ばせる」と思っていても、行動が伴わなければ意味がありません

行動が伴わなければ、これまでと何も変わりません。頭で思っていることと、日常生活が合ってないのです。

そこで私は25年間勤めた会社を退職することを決意しました。このままサラリーマンを続けていても「誰一人として幸せにはできない」からです。

高齢の親は介護が必要な上に、残された時間もそう長くはありません。愛犬もあと5年も生きれないでしょう。サラリーマンを続けていたら妻さえも幸せにできないでしょう。

そう考えると、行動するタイミングは今しかなかったのです。

いもさん

自分の人生の優先順位がはっきりしたので、やるべきことも明確になりました。なので、会社を辞めることに不安も後悔もありませんでした

最後に

人間は何のために生きているのか?という普遍的な問いであれば、「人間は人類や社会の進歩のために生きているという普遍的な答えになるでしょう。

しかし、我々が悩んでしまうのは「自分は何のために生きているのか?という個人的な問いではないでしょうか。

そして、その問いは、「自分は何のために生きたいか?」と自分自身で決めることができれば解決します

すなわち、「自分の人生は自分で決めて行動すればいい」という単純なことだったのです。

もちろん「自分は何のために生きたいか?という問いへの答えは、人それぞれ違います。

ということは、それぞれの人がそれぞれの考えで「決めればいいだけのこと」とも言えるのです。

50歳目前にして、やっと分かりました。