2) 考え方・知恵

中高年の働きすぎやストレスはとても危険です

head ache

こんにちは いもです。

会社で責任ある立場に置かれ、毎日忙しい仕事に忙殺されている40代、50代の人も多いかと思います。

私もそんな1人でした。

今回の記事では、私が48歳の時に経験した出来事を共有したいと思います。

嫌々仕事をしていたらストレスがたまるのも当たり前ですが、前向きに楽しく仕事をしていたはずなのに、気づかない内にストレスにむしばまれていました

高熱で入院するまでの経緯

1年半前:チームメンバーからの突き上げ

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48歳で課長だった私は、5年に1度行われる国際会議の責任者に任命されました。

世界中から300人以上が集まる会議の企画・実施です。50年ほど前から定期的に行うことが慣例となっている会議ですが、年々、業績が落ち込んでいる中での開催です。

社内から人が選ばれ、プロジェクトチームが組まれました。立上げ当時は「なぜこの時期に盛大な国際会議をする必要があるのか」というチームメンバーからの突き上げに対して、会議を行う意義・重要性を説く日々でした。

いもさん

当時は突き上げに対するストレスと責任感で、辛く忙しい毎日でした。でもいろいろと考え行動する遣り甲斐のある日々でもありました

1年前:動かない上司に対するストレス

しかし、次第にチームメンバーは動き始めてくれました。白紙だった企画も、それぞれのメンバーと協力して形になっていきました。

私の仕事の重点は、若手メンバー中心で企画した内容を、社内で実現していくことに移りました。

そこで上司を動かすのにかなりてこずりました。どうしても実現したい中で、なかなか上司を説得できずに苦労しました

いもさん

定年退職間近の上司達に、若手職員の感じている切実さを理解してもらうのが大変でした。自分より上の立場の者が動かないことに、大きなストレスを感じていました

半年前:これまで以上に仕事が面白く遣り甲斐のあるものに

やろうとしていることが形になってくるに従い、毎日の仕事がこれまで以上に楽しく、遣り甲斐のあるものになっていきました。

仕事のことを考えながらベッドに入ると、寝ている間に考えが整理されて、翌朝には答えが出ていました

チームワークも良くなり、準備も順調に進んでいきました。

いもさん

歯車がかみ合い調子が上がってきました。遣り甲斐があり楽しい毎日でした

10日前:突然の高熱で入院

会議本番の約10日前、おおよその準備が完了し「よし行ける!」と思った頃でした。突然38度の熱が出たのです。

しかし、気合が入っていたからか、高熱があっても普段通りに出社していました。

顔色が悪くふらつく様子を見て周りの人は心配していましたが、自分は辛いこともなくいつも通りの感じでした。

しかし、39度の熱がその後数日続いたため、インフルエンザを心配して病院に行きました。

すると即入院するようにと告げられたのです。

いもさん

仕事が楽しかったり順調だと、自分の体調の悪さに気づかず無理できてしまうので危険です。当時はそれが分かりませんでした

入院中

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医者や看護師との喧嘩

入院後、さまざまな検査や治療をしましたが、一向に熱は下がりませんでした。

しかし、数日後に控えた会議本番にはもちろん出席する気でいました。1年半以上にわたり準備してきた会議に自分が行かないなんてありえないと思っていました。

今思えば、それほど感覚が麻痺していたのです。

看護師に対して一時退院を申し出ました。そして、どれだけ大切な会議であるかを伝え続け、何度も喧嘩になりました。しかし結局、理解してもらえませんでした。

医者と看護婦長とやりあって「もうこの病院では面倒見切れない」と言われました。

そして会議当日、尿道カテーテルをつけたまま、採尿パックを手で持って電車に乗り会議会場に向かいました。

いもさん

医者も看護婦長も見捨てるのは当たり前でした。「命より大切な仕事」なんてあるわけないのに、当時の自分は本当に狂ってました。責任感からなのか、最後に投げ出してしまい批判されるのが嫌だったのかは分かりません

国際会議当日の朝

会場に着くと、事務局メンバーたちが直前準備に追われていました。久しぶりに出社した私を見て一声かけてくれますが、準備で忙しくてそれどころではありません

私は開会式で行うスピーチがあるため、その準備で事務所に入りました。しかし、自分の頭は何をしているのかすら分からないような状態でした。少しすると体が震えだしましたが、上司も事務局メンバーも特に気に留めることもなく時間ばかりが過ぎていきます。

ついに震えが大きくなり、自分ではどうすることもできなくなくなりました

通りすがりに私の姿を見た女性上司が私の異常に気が付いてくれました。彼女は国際会議の担当ではない部署の人です。そして、止めてくれたのです。

すぐにタクシーが呼ばれ、それに乗って帰宅しました、そして、元居た病院にそのまま戻るしかありませんでした。

喧嘩して飛び出したこともあり、妻は医者や看護師にひたすら謝ったようです。

いもさん

会議開催のために全力を注いでいた事務局メンバーや上司が、私の異変に気付いても止めてくれなかったのはある意味仕方ないと思っています。それが組織です。あの時他部署の女性上司が止めてくれなかったら、おそらく手遅れになっていたでしょう

最後に

家族第一

それなりの年齢となり、責任ある立場の仕事をしている人は無理をしがちです。遣り甲斐があり、楽しんでやっている仕事ならなおさらです。

しかし、気づかない内にストレスは蓄積されています。若いころは乗り越えられていたストレスも、40代、50代と中高年になるに従い、突然体に出てきます

それを避けるためには、自分自身で気づいて、自分自身で抑制するしかありません。

サラリーマンとして組織で働いていると、「仕事が第一」という錯覚におちいってしまうことがあります。責任ある立場がそう思わせることもあります。

しかし、それは間違いです。

私は再入院後、しばらく意識が定まりませんでした。そして、脳神経の専門科がある国立病院に救急車で転院し、そこで1カ月以上入院することになりました。

当たり前のことですが、私が帰宅した後も、国際会議は順調に行われ、大成功だったそうです。

当たり前のことですが、私が入院している間も、会社の仕事は大きな問題もなく、進んでいきました

入院中、私はこれまでの人生、これからの人生を考える時間が与えられました。

そして「仕事」ではなく、「家族と自分第一」で生きていくことを決意しました。

今までは「仕事第一という意識」はありませんでしたが、日々の暮らしが結果的に「仕事第一」になっていた現実になってしまっていることに気づくことができました。

いもさん

これからも続く人生。「自分にとって一番大切にすべきものは何か」を深く考え、これからの人生を描き直すことができました。命あってこそ言えることですね